人の死に便乗する弁護団

 光市の母子殺害事件で論争になった、死刑廃止論。
 そもそも、この事件で「死刑廃止」を論ずる事自体、不快極まりない。
 これは、かの弁護師団が、母子が惨殺されたのを利用して「死刑廃止論」を通そうとする魂胆の汚さからわいてくる感情である。
 人権を主張する人間が、惨殺された人間を利用して、人権を主張している。「死刑廃止論者」は、そもそも、この事件での議論に参加するべきではない。論外である。
 あまりに不見識であり、あまりに不謹慎である。

廃止すべき問題は?

 中国、北朝鮮等、国家主義的国家が、国に対し批判的な人を、ことごとく死刑にしている。これは、非難に値するであろう。

 光市の事件は、対等な関係での裁判にて、死刑が宣告されている。対して、国家主義的国家の死刑は、国が国家権力を用いて、個人を、有無を言わさず殺している。
 これは比較対象にならないほど、条件が違う。

死刑廃止論者

 そもそも、死刑廃止論者は、何に対して抗議しているのか?
 あまりにも支離滅裂で、グダグダだと言わざるを得ない。

引用:アムネスティ・インターナショナル日本

アムネスティに対する質問 その1

極端な悪事をした人間はやはり極刑に処するというのが何度考えても妥当だと思います。
(中略)
あなた方は死刑廃止を唱える限りそういう普通の人間の考えに納得の行く説明をする必要があると思うのですがいかがですか。

回答

重大な犯罪を犯した人間に、厳しい刑罰を与えることに異論はありません。
(略)
処刑を担当する刑務官などのこと、誤判のこと、考えれば考えるほど、こんな恐ろしい刑罰はあってはならないと思うのです。
(略)
いかに極悪非道な行いをした人間であるからといって、私達にその人間の命を奪う権利があるのでしょうか。死刑が、それ自体、またあらたな殺人であることは、否定のしようがありません。死刑を認めるということは、私達が殺すということです。自分が殺すということです。私達は、なぜ殺人を犯しても良いのですか。その殺人を誰かに(刑務官に)押し付けても良いのですか。
(略)
江戸時代にあった磔や火あぶりの刑を異常で残虐な刑罰と感じます。100年後の私達の子孫は、今行われている絞首刑を同じように感じるでしょう。


 ひどいものである。これが、「死刑廃止論者」の答えなのである。
 つまり、死刑は、刑務官がかわいそうだからダメだ。
 恐ろしい刑罰だからダメだ。
 異常で残虐だからダメだ。

 反論してしまえば、つまり、全自動安楽殺人器ならば、我々は、死刑を肯定いたします。ということだろうか?

偽善とは正にこういう事だ

 こういった団体に共通するのは、感情的に「感情」を非難するという愚を、平然と犯し、他人に押し付けるところである。
 死刑廃止を論じたいのであれば、まず、殺人者が犯した、

 罪の無い母子を理由も無く処刑する殺人者などのこと、通り魔のこと、考えれば考えるほど、こんな恐ろしい犯罪はあってはならないと思うのです。
 しかし、彼らの人権は、われわれ「死刑廃止論者」が守っていくのです!


 こちらも冷静に「考えれば考えるほど」と言った具合に深く考えてみて欲しいものだ。

本質を理解せよ

 死刑は怖いから、野蛮だから無くすのではない。

 死刑を議論するのではなく、
 どうすれば、犯罪を無くしていけるのか?
 冤罪は、どうすれば無くせるのか?
 国家主義的国家の横暴を、どのように諭していくのか?

 死刑は怖いと叫ぶ暇があったら、こちらを考えて欲しい。
 重大な犯罪が無くなっていけば、自然に死刑も無くなっていくのである。どうしてこの論理が分からず、いきなり法律で死刑を取っ払うと言う発想が出てくるのか、はなはだ不思議でならない。

 今回は、死刑廃止論者のあまりに理不尽な主張に、少々文章が荒れていたかもしれません。失礼いたしました。また、本村さんの「死刑云々の前に、重犯罪をどうなくしていくのか?」という考え方に、感銘をうけています。



外部リンク

good2nd:死刑について確認

 考えるキッカケになりそうなリンクを提示しておきます。

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2008.04.25 Fri l 社会 l COM (10) TB (0) l top ▲

コメント

殺人・死刑・神・そして人間
 こんにちは。Unowでお会いしたあまくさです。
 江戸時代の話です。八百屋お七。放火の罪で火あぶりになった有名な女性です。
 彼女は惚れた男に逢いたい一心で放火の大罪を犯し、裁きを受けます。この時、奉行から年を尋ねられ、「15才」と答えたと言われています。江戸時代では放火は火あぶりと決まっていましたが、14才までなら極刑をまぬがれることになっていました。奉行はお七の行為に未熟さゆえの過ちを感じ、「14才」と答えれば命は助けてやろうと思ったのだと言われています。
 結局、お七は火刑に処せられます。この時代の火あぶりは、衆人環視の中で罪人を杭に縛り、姿が見えなくなるほど藁を積み上げます。そして藁に火をかけ、生きたまま焼き殺すというかなり残酷なものです。ただ気になる話があります。火をつける前に出刃包丁をもった役人が藁の中に入っていくのだそうです。何をするのか記録は無いらしいのですが、罪人の苦しみを減らすために絶命させたのだろうと言われています。
 この話、どう感じるかは人それぞれ。
 私は江戸時代の日本人の行為には、意外にハートを感じます。いいか悪いかはわかりません。江戸時代の人々も、いいか悪いかはわからないと思いながら、少女に年を尋ねたり、出刃包丁を持って藁の中に入って行ったりしたのだろうと思います。
 江戸時代であれ、何時代であれ、現代であれ、不完全な人間の作る社会に「予定調和」はありません。
 ただし心をもたない目で見れば、(たぶん)あらゆる事象に調和はあります。
 赤い液体と黄色い液体をまぜれば、やがて均質になってオレンジ色の液体になります。

 殺人は悪であり、殺人を犯した者は罰せられなければならないと言う人たちがいます。
 死刑も殺人であり、それは許されないことだと言う人もいます。
 人間であれば、このふたつのテーゼは容易に解決することができない矛盾に思えます。
 しかし、心を持たない冷酷な「神の視点」に立てば、この矛盾を解消するのは実はいとも簡単なのです。
 答えは、「死刑も肯定し、殺人も肯定すればよい」です。
 きれいさっぱり、何の矛盾もありません。

 矛盾もありませんが、そこには「心」がありません。
 自然には(たぶん)心はないし、神にも(たぶん)心はありません(だって、人間じゃありませんから)。
 でも、人間である私には、心はあった方がいいように思えます。論理的な根拠はいっさいありませんが、心のない人間より心のある人間の方が好きなのです。

 さて。心って何なのでしょうか?
2008.04.25 Fri l あまくさ惣一郎. URL l 編集
 難しいですね。こころを問われますか。
 それにしても、懐の深い人ですね、あまくささんは…。感服いたしました。

 私事ですが、私は本音では、殺人とそれ以外の犯罪は別次元の問題だと思っています。
 一方で、殺人は、してはいけない理由がいまだに出ません。分からないのです。ルールも、人を不幸にすることも、それを「悪」だと示唆しますが、一部の人間社会では悪だというだけで、それは世界の真理でも法則でもありません。

 しかし、何故かやはり、どう色々考えても、この「弱者を殺す」という行為に、止め処なく怒りの感情がこみ上げてきます。

 自分もこうした矛盾で未熟な肉塊に過ぎないのですけれど…

 しかし、こうも考えられないでしょうか?
 果たして殺人を肯定することが、冷酷でこころないものなのでしょうか?
 自然界では、特に地球の生命体の世界では、個々に死はありますが、「輪廻転生」していて、連続しています。いえ、地球上、もしかしたら宇宙でさえも、物質は循環していきます。まるで血液が体中を巡るかように。
 何かの答えが見えそうなのですが、後一歩、見えません。

 いろいろ矛盾してしまいました。

 さて、今回のエントリの本心の目的は、ただ、弱いものいじめをした人間を、理由を並べて守ろうとする死刑廃止論者を、打ち負かす、単に攻撃的なものです。私事です。
 「考える」きっかけに成れれば、儲けもんです。

 ちなみに、戦国時代の思想、江戸時代の思想も、私も好きです。彼らは戦場では、殺伐としていて容赦なく百姓だろうが侍だろうが「敵」であれば斬り捨てますが、「仲間」は、全力で守る。例外も多々ありますが…
 もしかしたら、「人間」として一番「自然」な時代だったのかもしれませんね。

 最後に、心ですが…あまくささんの問いにはハッキリとは答えられませんが、子孫を守ろうとする種。つまり、自分の子供が死んでしまったとき、「悲しみ」のような感情を持つ動物が持っているものではないでしょうか?
 種の保存を生命の大命題とするならば、進化の過程で、「種の保存」のために進化した「機能」なのかもしれません。
2008.04.25 Fri l サキ. URL l 編集
 死刑廃止論…私の個人的な考えはひとまず置いておくとして、この人たちは国家が法律で人を殺すということに抗議をしているんですよね、たぶん。
 では何で死刑制度があるかといえば、結局のところ遺族側の報復感情を抑えるためだと言えるでしょう。
 大切な人を殺されて悔しいのに殺した犯人はヌクヌクと生きている。「許せない、殺してやる!」となってまた新たな殺人事件が発生する。
 そしてその復讐をした遺族もまた、殺した相手の遺族から「許せない、殺してやる!」と恨みを買って殺される。
 これが延々と続くと国から人がいなくなる。
 この報復の連鎖を止めるために、「犯人は、国家が代わりに裁くから、復讐しないでガマンしろ」というのが刑法の基本理念のはずです。
 その究極の形が死刑なのですが…
 死刑廃止論者は被害者側の視点が欠落しているように思われます。
 それでもなお、「国が人を殺す」という点が容認できないのであれば死刑に替わって「仇討ち」を認めるべきでしょう。
 仇討ちならば「国が人を殺す」という点は問題にはなりませんから。
 後は仇討ちの制度化ですね。
 仇討ちでも報復の連鎖は続いてしまうので、仇討ちをしたい人はあらかじめ届け出ておいて、それが成功したとしても罪には問われない、という制度を作っておくとか。
 とりあえず「死刑制度」は廃止できるし社会秩序もある程度は維持できるでしょう。人道上甚だしく問題がありますが…
2008.04.26 Sat l 泡雲法師. URL l 編集
罪と罰と、心と自我
 「心とは」などという私のエラそうな問いかけに、丁寧に答えていただいてありがとうございます。懐が深いのはサキさんの方でしょう。
 ところで、人を殺してはいけない理由がいまだに出ないとのこと。ブログのエントリーの中でも、人間の倫理と「自然」とのあいだの齟齬について考えていらっしょるように思いました。
 軽々しく論じることにためらいを感じるテーマですが、少し私見を書いてみようと思います。

 多くの人が「殺人は悪だ」と言うのを聞くとき、どういうことを言っているのかな、と思ってしまうことがあります。
 人間を含めたすべての命を奪うことが、悪なのでしょうか?
 人間の命を奪うことが、悪なのでしょうか?
 利益のために殺すから、悪なのでしょうか?
 性衝動のような動物性を抑えられずに殺すことが、悪なのでしょうか?

 奇をてらうつもりはありません。次のように考えることができます。
 私を含めておそらく多くの人々にとって、「死」は怖ろしいことです。だから、自分が殺されるのは嫌です。自分の愛するもの(私には9才の娘がいます)を殺されるのも嫌です。ならば、自分のされたくないことを他人にするのは「悪」だ。このように言うことはできますね。
 もちろん、苦痛や悲しみにはいろいろあります。誰だって、盗まれたり怪我をするのは嫌です。ただ、盗まれたものは取り返せるし、怪我はなおる怪我もあります。しかし、死んだ人は生き返りません。愛する人と死別することは、生きる意味を見失わせるほどの悲しみをその人にあたえることもあると思いますし、自分自身が死ぬことは、すべてが消滅するということです。私が死んでもたぶん「世界」は残るのだろうとは思いますが、少なくとも私自身にとっては、すべて消えてしまうのが「死」というできごとです。
 人間の不幸の中で、「死」は隔絶しているからこそ、殺人は特別な罪であり、死刑は特別な刑なのだと思います。
 こう書くと、世の中には自殺する人もいるし、信じることを貫くために命を犠牲にできる人もいる、という反論が予想されます。死ぬよりつらいこともある、と言う人もいるでしょう。
 でも、私は「死」が最大の苦痛だと言っているわけではありません。
 他者の死は、死んだものは生き返ることはなく、失われた「心」は現代医学やIT技術を総動員しても複製することはできず、取り返しがつかないという意味で、特別なできごとです。そして、自分自身の死は、繰り返しますがすべてが消滅するという意味で特別なイベントです。
 「私」が死ねば、すべては消滅します。「自然」も、「宇宙」も、「神」も、「法則」も、「ヒラリー・クリントン」も「泊町の斉藤さん」(誰じゃ、それは)も消滅します。
 私がそう思うのは、私の「自我」というものの錯覚なのだろうとは思います。
 だから、私の考えでは、生と死、罪と罰、人を殺すこと、人を殺してはいけないということ。それは、まず「自我」の問題なのだと思います。

 「心」とはなにか、私にもわかりません。ただ、人間の心は「自我」という構造をもっていることはわかります。それはたぶん、「心」と「宇宙」のすべてではないのでしょう。ですが「自我」についてだけなら、私はかなりわかりますぜ。若い頃、そんなことばかり考えていた時期がありましたから。

 追伸。冴子さんというのは、どなたなんですか? 架空の人物なんでしょうか? なんだか好きになってしまいました(笑)。
2008.04.26 Sat l あまくさ惣一郎. URL l 編集
泡雲法師さんへの回答
 敵討ち。古来の日本の制度ですね。ここは、実は今回新しくコメントをいただいた、あまくささんが明るいと思います。でも、あえて不勉強者なりに、筆を取らさせていただきます。

 確か、奉行や主君がその仇討ちの正当性を認めた場合に限り、その実行を許可していたように記憶しています。
 もちろん、許可がなければ、ただの殺人として、「罪人」になってしまっていたようです。
 また、「返り討ち」も認められていたようです。
 簡単には許可が下りなかったと言う話も聞いた事があります。

 現実的には、重大事件をなくす事は不可能だと思います。何かで話したような気もしますが…既出かもしれませんが…
 人間が人間である、人間が人間として生きていきたいのであれば、過ち(今回のテーマでは語弊があるかもしれません)を犯すことは、避けられません。過ちを犯してこそ、人間は成長するといえます。
 しかし、一番重大な犯罪のみに絞って考えれば、もしかしたら、限りなく0に近づけることは、可能だと思います。

 しかし、0に出来ないのであれば、その策も有効かと思います。裁くのがおごがましすぎて出来ないと言うのであれば、そうする以外には無い様にも思えます。
 現在主流の人道、道徳とは、確かに問題が多々ありそうですが…確かに

 最後に、国家主義的国家が、人を裁くのには反対なのです。…が、普通の犯罪では、公平さを望みます。

 ただただ、いきなり殺された母子と、裁かれない殺人者との構図。これが理不尽でなりません。
2008.04.26 Sat l サキ. URL l 編集
あまくささんへの回答
 そうですそうです。戻せない事。正にそれです。

 この荒涼とした、原子やら素粒子やらが浮かんでいる宇宙空間で、「意識を持ち、自己を認識する」と言う事は、とてつもない奇跡なのです。生物は数が増え、人は数が増え、相対的にその価値は下がっているように見えます。現実には、物質の塊でしかないモノが意識を持っていると言うとんでもない出来事なのに…

 そういった意味では、確かに犯人の命も、奇跡の賜物ですが、殺された母子も確かに奇跡の賜物なのです。

 死刑廃止論者は、一方の肩を持つ差別主義的思想を持つように思えてなりません。

 自我ですか…私も昔そんな事を考えていた気がします。いまいち自分が何を考えていたのか思い出せませんが…

 ちなみに、冴子さん…。もちろん架空の人物ですが、モデルは軽く存在します。まあ、好きな人は大好きだと思われます。。。
2008.04.26 Sat l サキ. URL l 編集
お邪魔します
お邪魔します。

>母子が惨殺されたのを利用して

 中国の忠臣伝では君は例えば「楊貴妃の色香に
迷って国を傾けた玄宗皇帝」のような"バカ殿"で、
そういった"バカ殿"のために「自分の女を殺して兵
に食わせてでも戦い続けた人間」が"忠臣"とされる
のです。「名君に忠誠を尽くしてもそれは当たり前
で、"バカ殿"を"バカ殿"と分かった上で忠誠を尽くす
のが忠臣」という考えなのでしょう。諸葛孔明も不肖
の息子と分かった上で劉備の息子に仕え続けまし
たし。ですから「こういう時"だからこそ"死刑廃止を
主張すべき」と考えているのではないでしょうか。

>光市の事件は、対等な関係での裁判にて、死刑が宣告されている。対して、国家主義的国家の死刑は、国が国家権力を用いて、個人を、有無を言わさず殺している。

 というよりも「国が第三者か、それとも当事者(の
片方)か」という事ではないでしょうか。それとリトビ
ネンコ氏毒殺事件のように「体制に不都合な人間は
闇に葬る」ロシアのような国もあります。

>反論してしまえば、つまり、全自動安楽殺人器ならば、我々は、死刑を肯定いたします。ということだろうか?

 湾岸戦争以降のいわゆる「ピンポイント攻撃」がそ
れに近いように思われます。「相手はレーダー上
の"点"」という事で。

>いきなり法律で死刑を取っ払うと言う発想

 江戸の元禄時代の頃は未だに「戦場で多くを殺せ
ば英雄」という戦国時代の遺風が残っており、旗本
奴や町奴のような「法よりもナメられ侮られる事を恐
れる」人間による喧嘩や抗争が後を絶ちませんでし
た。そこで徳川綱吉は「生類憐みの令」で意識改革
を図り、それはそれで成功しました。その中には「病
んだ馬を捨ててはならない」というのもあったそうで
すから当時は「馬は病んだら捨てる」のがあたりま
えだったのでしょう(ペットの犬猫を捨てても罰せら
れる現代と違って)。ですから「いきなり法律で死刑
を取っ払う」と言う発想も「死刑を廃止しようとしない
(存続を良しとする)意識を"改革"してやる」というも
のではないでしょうか。
2008.05.06 Tue l ブロガー(志望). URL l 編集
ブロガー(志望)サンへの回答
 ようこそいらっしゃいました。お互いに議論を詰められれば、これ幸いですね。

v-164母子が惨殺されたのを利用して

 そうですね。私も多いに議論すべきと思います。ただ、指摘すべきは、死刑廃止論の論点だと思います。死刑廃止論で主張されるのは常に「死刑の廃止」という事項です。
 つまり、「死刑を廃止」する事が目的にすり替わっています。死刑廃止論では、死刑を廃止するために、様々な「そうすべき点」を次々に上げて行きます。
 例えば

・人が人を裁く事はできるのか?
・殺人犯罪と何がちがうのか?

 このようなことです。裁判では、被害者の受けた仕打ち、それらを加味した加害者の量刑に関して話し合われていました。
 裁判とはそういうことです。量刑を様々な角度から判断し、罪を償わせますね。
 そもそも、死刑反論者は、突き詰めていくと裁判を無くせという論理になってしまいます。
 結局それは出来ないし、倫理的にもおかしい。ならば、「被害者が死んでしまった犯罪に関してのみ、特別ルールを適応しましょう」ということになります。

 私は、もちろん、様々な「不当だと思われる量刑」を、議論して整備して行かなければならないということは、きちんと把握しています。

 なんでまた、揚げ足を取るのかと言うと、今回の裁判に関しては、「加害者側の弁護団の論点がずれていた」からです。
 目的は「正当な裁判」ではなく「死刑制度廃止」だったのです。被害者はどこに行ったのでしょう…とにかく強引に「死刑廃止の前例」を作ろうとしていたように思います。

 彼らは議論せずに死刑廃止を「事件を利用して」認めさせようとしました。

 死刑廃止論者は、死刑容認論を糾弾する前に、まず、誰かを糾弾すべきではないのかと思い、筆を取った次第です。

v-164光市の事件は、対等な関係での裁判にて、死刑が宣告されている。対して、国家主義的国家の死刑は、国が国家権力を用いて、個人を、有無を言わさず殺している。

 その通りです。補足すると、「利益の為」に死刑にするのか「償わせる為」に死刑にするのか。死刑と言う言葉は同じですが、次元は異なります。

v-164反論してしまえば、つまり、全自動安楽殺人器ならば、我々は、死刑を肯定いたします。ということだろうか?

 ううむ…。恐らく非常に苦しんで亡くなられたのではないでしょうか?

v-164いきなり法律で死刑を取っ払うと言う発想

 そのとおりです。と言いたくないところです。私は断定口調で書きますが、強烈に問題提起したいならば、こういう書き方もやむなし。と、存じます。
 今回に関しては、本村さんの

「まず、どうすれば重犯罪をなくせるのか」

 こちらの議論に目を向けて頂きたくて、書いたエントリーです。


 今回は、私も頭の整理がさらにつきました。また、ご指摘があれば、よろしくお願いいたしますね。
2008.05.06 Tue l サキ. URL l 編集
レスありがとうございます
サキさん、レスありがとうございます。
 それから補足ですが法治では「後から
法を作って裁く」事後法は禁じ手とされ
ています。未来にどんな法律ができる
か分からないのにそれに違反しないと
いう事などできないからです。裁判とい
うものは「現行の法律に基づいて裁く」
ものですから、裁判で死刑の是非と
いった現行の法律自体を議論するという
事は「事後法」みたいなものではないで
しょうか。そういう事がまかり通れば「法
の規定よりも重い刑罰が課される被告」
も出てきたりするのではないかと思いま
す。
2008.05.10 Sat l ブロガー(志望). URL l 編集
 申し訳ありません。そこは確認していませんでした。ただ、論点を確認して頂けると助かります。今回は、裁判自体については触れません。

 ちなみに、ブロガー(志望)さんは、どのようにお考えなのでしょうか?

 私は既述のように、死刑容認、否定以前に、まず根本の原因から探るべきだと考えています。学校教育、家庭でのしつけ、教育、あるいは、生来のその人物の性質、あるいは身体的に標準ではないことが(例えば、思考の構造が特別とか)など、様々な原因が考えられます。
 もしかしたら、それらの複合とも考えられるし、或いは、まったく別のところに原因を求められるかもしれません。

 原因がわかれば、ある程度、或いはそのほとんどが防げる可能性もあります。

 これは、仮定の話ですが、もし「親の教育」に原因があると証明されれば、当人の罪は軽く、親の過失が重大だと判断されるかも知れません。
 逆に、正当な教育を施せば、重大犯罪は防げることになります。

 議論(つまり、否定論と、容認論ですが…)加害者の不幸、被害者の不幸、ともに防ぐ方法をまずは考えないと、本末転倒ではないかと考えます。

 つまり、死刑については容認論ということになります。原因を探り当てることが出来れば、自然と死刑は消滅します。

 しかし、本音の本音を申しますと、被害者=死。加害者=更生。
 この構図は、あまりに理不尽と存じます。
2008.05.10 Sat l サキ. URL l 編集

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