【精神】狂気2
急遽筆を執る。狂気。
人間は、誰でも「狂った」部分は持っていることだろう。よく言われる事だが、後になって…
あの時取った、自分の言動を思い出した時、「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああ」と叫びたくなったり、無性にビルの屋上から飛び降りたくなったり、部屋の中を無意味に頭を抱えてぐるぐる回ったりすることがある。
…こういう、半端ではない、変質者じみた、「恥ずかしい」の5乗くらいの自分の過去を、誰しも一つくらいはもっているはずだ。
もちろん、筆者も4個や5個はある。何故こんなに多いのかは、当ブログ読者ならば、ここの管理人の変態性に薄々お気づきであろう。隠しカメラをここの管理人の部屋に忍ばせておけば、月一回は、部屋をぐるぐる回っている管理人を観察することができるであろう。もちろん、その内容は生涯内緒だが…
しかし、もしも、「そんな過去は無い」と、言い切る人がいるのなら、少々注意が必要だ。
自分の変質的な部分に、単に「気づいていない」という可能性が考えられるからである。
詳細は、2chか、2chを追っている有名ブログで確認してほしいのだが(痛いニュース)、その「狂気」に対し、2chの住人(リンク)が、怒りをあらわにしている。筆者も同様に怒りがこみ上げていたが、その「狂気」のブログに入ると(痛いニュースからリンクが張ってある)、逆に、
「この人は、自分を客観的に見れない人なのかな」
などと、憐憫の感情を抱いてしまった。
その人は、一方で未成年の命を軽視し、一方で未成年の命を重視している。おそらく、自己矛盾に「気づいていない」のであろう。
また、本人のブログ内では、所得の低い人間を差別する表現が、粗野な言葉で綴られる。
その人に反論しようものなら、その相手の素性を推し量る事も無く、「馬鹿」はここのブログでコメントする資格は無いと決め付け、中傷される。
そして、今回は光市の殺人事件に関して言及しているのだが、「被害者は、突然押し入られ、子供を殺され、強姦され、そして殺された無念」という事実が、恐らく、すっぽり抜けているのであろう。
また、ブログ内では、恐らく事実無根の、その人の脳内で構成された都合のいい事実を元に、社会に対し批判しているふしがある。
ここで、境界が見えてくる。
前回取り上げた狂気は、天才と狂気との狭間の人間であったが、今回は違う。
その人は、持論を正当化するために、都合の悪い事実が、自分の脳に届かないように生来が出来ている。
と、感じてしまった。見ないのでも、見ないフリをするのでもない。都合の悪い事実は、記憶から無意識に削除されていく。そして、時には、脳内の出来事が現実の記憶に補完されていく。こんな風に思えるふしがあるのである。
恐らくその人は「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ」なんて、叫びたくなる気持ち等持ち合わせていないのではないだろうか。
もちろん、弁護士団も、人格障害者と言わざるをえない。
2chでも皆が書きこんでいるように、人の命を「人数」で換算するやり方は、私も不快に感じる。
持論を展開して申し訳ないが、私は、単純に突然「殺された」被害者がいて、そして、殺した犯人の命が法によって守られるのは納得がいかない。
被害者は突然理不尽に殺された。つまり、或る意味で死刑を執行されたのに対し、何ゆえ犯人の命が守られなければならないのであろうか?
明らかに不公平である。
被害者は、罪もないのにある日、突然残忍な死刑を執行され、犯人は、あの有名な弁護師団に守られて死刑を執行される事はない。
なんと言う事だろうと思ってしまう。
もちろん、「冤罪」の問題も或るため、一概に「死刑」を執行せよとは言えないが…。
物事の本質は「本村さん」の
「いかに、死刑を執行せざるを得ないような犯罪をなくしていくか」
ここに集約される。
最後に、当の筆者が正常だと言う根拠も何処にもないと言う事を明記しておきます。
人間は、誰でも「狂った」部分は持っていることだろう。よく言われる事だが、後になって…
あの時取った、自分の言動を思い出した時、「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああ」と叫びたくなったり、無性にビルの屋上から飛び降りたくなったり、部屋の中を無意味に頭を抱えてぐるぐる回ったりすることがある。
…こういう、半端ではない、変質者じみた、「恥ずかしい」の5乗くらいの自分の過去を、誰しも一つくらいはもっているはずだ。
もちろん、筆者も4個や5個はある。何故こんなに多いのかは、当ブログ読者ならば、ここの管理人の変態性に薄々お気づきであろう。隠しカメラをここの管理人の部屋に忍ばせておけば、月一回は、部屋をぐるぐる回っている管理人を観察することができるであろう。もちろん、その内容は生涯内緒だが…
しかし、もしも、「そんな過去は無い」と、言い切る人がいるのなら、少々注意が必要だ。
自分の変質的な部分に、単に「気づいていない」という可能性が考えられるからである。
小さい子供は0.5人
詳細は、2chか、2chを追っている有名ブログで確認してほしいのだが(痛いニュース)、その「狂気」に対し、2chの住人(リンク)が、怒りをあらわにしている。筆者も同様に怒りがこみ上げていたが、その「狂気」のブログに入ると(痛いニュースからリンクが張ってある)、逆に、
「この人は、自分を客観的に見れない人なのかな」
などと、憐憫の感情を抱いてしまった。
境界2
その人は、一方で未成年の命を軽視し、一方で未成年の命を重視している。おそらく、自己矛盾に「気づいていない」のであろう。
また、本人のブログ内では、所得の低い人間を差別する表現が、粗野な言葉で綴られる。
その人に反論しようものなら、その相手の素性を推し量る事も無く、「馬鹿」はここのブログでコメントする資格は無いと決め付け、中傷される。
そして、今回は光市の殺人事件に関して言及しているのだが、「被害者は、突然押し入られ、子供を殺され、強姦され、そして殺された無念」という事実が、恐らく、すっぽり抜けているのであろう。
また、ブログ内では、恐らく事実無根の、その人の脳内で構成された都合のいい事実を元に、社会に対し批判しているふしがある。
ここで、境界が見えてくる。
前回取り上げた狂気は、天才と狂気との狭間の人間であったが、今回は違う。
- 持論を正当化するために、事実を掻い摘んで発表するのがマスコミ。
- 持論を正当化するために、事実を調べ上げるのが、理想に燃える人間。
- 持論の間違いに気づき、より真実に近い「論」を探すのが常人。
その人は、持論を正当化するために、都合の悪い事実が、自分の脳に届かないように生来が出来ている。
と、感じてしまった。見ないのでも、見ないフリをするのでもない。都合の悪い事実は、記憶から無意識に削除されていく。そして、時には、脳内の出来事が現実の記憶に補完されていく。こんな風に思えるふしがあるのである。
恐らくその人は「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ」なんて、叫びたくなる気持ち等持ち合わせていないのではないだろうか。
もちろん、弁護士団も、人格障害者と言わざるをえない。
後記
2chでも皆が書きこんでいるように、人の命を「人数」で換算するやり方は、私も不快に感じる。
持論を展開して申し訳ないが、私は、単純に突然「殺された」被害者がいて、そして、殺した犯人の命が法によって守られるのは納得がいかない。
被害者は突然理不尽に殺された。つまり、或る意味で死刑を執行されたのに対し、何ゆえ犯人の命が守られなければならないのであろうか?
明らかに不公平である。
被害者は、罪もないのにある日、突然残忍な死刑を執行され、犯人は、あの有名な弁護師団に守られて死刑を執行される事はない。
なんと言う事だろうと思ってしまう。
もちろん、「冤罪」の問題も或るため、一概に「死刑」を執行せよとは言えないが…。
物事の本質は「本村さん」の
「いかに、死刑を執行せざるを得ないような犯罪をなくしていくか」
ここに集約される。
最後に、当の筆者が正常だと言う根拠も何処にもないと言う事を明記しておきます。
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「自分が正しいと信じていないと人生は辛い、しかし自分だけが正しいと信じている人間には生きている資格が無い」
テロリストや狂信者、某大統領を見ていて思ったことです。
ちょっと厳しすぎるでしょうか?
それでも、理不尽で不公平すぎる。普通の生活であれば、許容出来ますが、命に関しては、許容しづらいです。生きるか死ぬかの命のやりとりならまだしも、自分の理想や利益のために大量殺人を犯すなんて…
建前では「人が人を裁く等おごかましい」「これも、他と同様理想主義である」など等、反論もあるとは思いますが、
某大統領、テロリスト、狂信者等がメディア等で笑顔を見せていると、ぞっとする瞬間が多々あります。