【社会】赤ちゃんポスト
エッセィが出来るまで
今回は趣向を変えて、エッセィの出来方を解説してみようと思う。この「相対主義的」「ああ言えばこう言う的」な当ブログ、どうやって出来ていくのだろう。

写真素材:EyesPic
ニュースやブログ、実生活のエピソードなど、まず「?」がつくネタを見つけると、執筆がスタートする。
あまのじゃくな筆者は、ほとんど全てのニュースに「?」をつける。
例えばこんなニュースがあったのは、皆記憶に新しいだろう。
「赤ちゃんポストは非人道的だ」
本当にそうか?
「赤ちゃんポストは必要だ」
本当にそうか?
全てにまず疑問府を付けていく。時には、「赤ちゃん?」「ポスト?」「非人道的?」こんなところまで疑問府を付けてみる。
で、赤ちゃんポストは倫理的にどうなのか?
それは、倫理的にマズイと言うのが一般的な見方であろう。理由は、
- 親が、責任を放棄する
- 政治が、親の責任放棄を幇助する
- 赤ちゃんを、「物」「ペット」のように扱っている
こんなところから導けるだろう。これらの行動は人道から反している。
なぜなら、これらは我々が生きる「相互社会」における、「自己中心的行動」という反相互社会的行動だからである。
赤ちゃんポスト賛成
ならば、赤ちゃんポスト賛成派は、相対的に、非人道的ということになるのか?実は、そうではない。
「現実に棄てられる赤ちゃんがいる。それを救済する」
これのどこが非人道的だというのか。死にゆく命を救済しようというのだ。
相互社会で、助け合うことは、全く人道的と言えよう。
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ブログのまとめ方
一つずつ疑問府を付けていき、一つずつ答えを探してみる。
そうすることで、本質が見えてくるのである。
では、赤ちゃんポスト論争に決着がつかないのはなぜか?
それは、双方が人道的に正しい事を主張しているからに外ならない。
反対派は、「親」についての倫理感を求めており、賛成派は、「赤ちゃん」に対する人道的行動を求めているのである。
答えは出た。
赤ちゃんポストが、非人道的なのではない。
- 赤ちゃんポストを利用する親が非人道的
- 赤ちゃんポストに捨てられた赤ちゃんを救うのは人道的
つまり、賛成派は「2」について議論しているのである。反対派は「1」について議論しているのである。
双方の主張に決着も歩みよりも起きないのはそのためだ。別のテーマで議論していたのである。なるほど、平行線を辿る訳である。
あえて議論のまとめに理想系の決着を見るとすれば、
- 赤ちゃんを捨てざるを得ない親をまず、教育なり救済なりしなければならない。
- 赤ちゃんポストの設置とともに「親学習塾」「親就職相談所」「片親救済制度」など(思いつきで申し訳ないが)セットで設置していかねばならない。
こんなところだろうか?
問題はポストの是非ではなく、「親」の倫理観についての議論だったのである。
こういう話題のときは、いつも「くさい物には蓋を」の精神を感じちゃうのよね〜個人的には、
「親」が悪いのに、それを助長してどうするの?ポストは必要ない。
こういう短絡的な意見には、同意できかねるかな・・・
正に、「現実を拒絶している」くさい物には蓋的発想だと思う。
ポスト設置だけでは、根本的な部分は解決されないから、より改良は必要だと思うけど。
恋愛でもそうだけど、やらずにゴチャゴチャ言うってのよりは、失敗するかもしれないけど、やってみるところが良いわよね。あの病院。(何故に恋愛??・・・しかも、論点がずれてるぞ・・)
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どんな事にでも「?」を付けてみるのは大事ですよね。
この「?」を付ける事を「メディアリテラシー」と言うようです。
でも、みんな考えるのがメンドクサイのか、流れてきた情報を鵜呑みにしている人が多いですよね。
日本人に足りないのはこの「?」だ!
でも、やたらに「?」を付けていると「あいつは面倒なヤツだ」とか「疑り深い」とかマイナスな評判が立ったりする…
困ったもんだ。
本来は疑り深い性格なんですが、メンドクサがられても損なので、濃い話題の時など、現実世界では極力言葉にはしないようにしてしまいます。
たまにフッとその片鱗が見えて
「こいつ、面倒な奴か!?」
と、疑惑の目を向けられた時のフォローがなかなか高度でタイヘンです。
赤ちゃんポストの考え方は同感です。捨てる人が非人道的で、救済する人は人道的です。
ただ、ニュースでこの「赤ちゃんポスト」を見たときは、救済する方のことしか考えられませんでした。
単純に「いいことじゃないか!」と。
しかし、親の育児放棄など、見えないで社会問題に発展する可能性については考えが及びませんでした。
何事においても良いものに対して、「いいじゃないか!」と考えがちな私にとって、この「?」という批判的な思考(critical thinking)、もしくは疑問を持つことは客観的な立場で物事を判断する為に大変重要です。
良いことだけを信じていたいのですが、裏表ありますからねえ!
本当に、この世界で起きるほぼすべての事項に(全部かも)裏表がありますものね…
この相対主義的思考は、おそらく、漫画描き目指していたのが原因と思われます。ただ、経営者とか、トップにはかなり向いていない思考回路と思われます。
トップはガッと突き進み、部下が助言を発することのできる環境が、個人的には一番好ましく思います。
最近思うのは、トップは技術屋でも、策略家でも、部下は仕事がし辛い気がします。纏め上げる、コーディネイト力と言いますか、包容力といいますか…それが一番ものを言う気がしてなりません。
ブログ書きますね。
ただ私のスタンスは「何でみんながこの考え方になるのかがよーわからん!俺ならこう考える!」
という部分を対比させます。
(だからあえて少数意見を述べてます(笑)んで浮かばなかったら書きません。)
赤ちゃんポストの問題は、親の問題であるのはまったくそのとおりであると思います。
捨てる親がいるから、
問題にもなるし、必要にもなる。
ただ、捨てる親がなぜいるのか?
という議論をグループ討論なんかで始めると、
十中八九、「社会が悪い!」とか「政治が悪い!」
という責任者不明の結論になり、
日本のお家芸
『一億総懺悔論』が出てきます。
所詮日本のディベートなんて、
平行線 or みんなが○○(悪い、頑張ろう!等)
という結論になるのが見えますからね。
そのあたり、やはり問題の本質が見えてる人がいると、議論も楽しくなるし前進もします。
個人的に捨てる親がなぜいるのかという議論は、
『家族の子育てのあり方』の話になると思いますね。
親の見通しのなさ(生活力のない状況で子どもを生んでしまった場合。これも見通しの付け方を自分たちの親は教えてくれなかったの?って話しにもっていけます)と、親だけの負担が異常に高すぎて、親族が助けてくれない状況(大体今は核家族ですから)に論点が集中しそうな気がします。
(私が議論するならそこを攻めますね)
>日本のお家芸
『一億総懺悔論』が出てきます。
所詮日本のディベートなんて、
平行線 or みんなが○○(悪い、頑張ろう!等)
という結論になるのが見えますからね。
そこですよね。「誰がそんな考え方に誘導してるんだ?」なんて、私は考えてしまうのですが、日本の議論は不毛です。インターネットでもそうです。日本の議論は建設的な部分にまで、どうしても進まない。勝つか、負けるか、丸まるか。です。
もうひとつ、「発展する」も加えていただきたいです。
赤ちゃんポスト、もう一個問題を思いつきました。中絶出来なかった子供も相当数いるように思います。
「殺せ」なかったのか、大きくなりすぎてしまっていたのか…。
これも、社会問題として片付けがちです。「社会問題」を掲げる当ブログでも、避けては通れない問題かも知れません。