【精神】狂気
本日の議題
電波系と、一般人の違いについて教えてください。
東京に住んでいると、多々辟易する場面に遭遇する。電車にのり、なんだかブツブツうるさいなと、会話内容に耳を傾けていると、どうも電車会社に向かってのクレームの話をしているらしい。

素材:はっぴーくれ〜ぷ
「なんで、こんなに時間がかかるんだ。私は霞ヶ関で働いていたんだからね。訴訟問題だわよ!そうでしょ〜?」
ふと、相槌をうつ返事が無いなと、そちらに目をやると、目の前にかるく稲妻が走る。
彼女は一人で滔々とクレームを述べ、いきなり同意を求めるかのように話を回りに振るが、誰も何も答えていないのに、まるで誰かと話しているかのように、話が進んでいくのだ。
あたかもそこには、見えない人が一人いるかのようなのである。
狂気
こちらのキーワードで、ググッて見て欲しい。
「優れた女性との間に子孫を」
2ちゃんねるレスブック:絶対ググッてはイケナイ単語ってなに?より。
どうやら、有名なホームページらしいのだが、私は初めてそんなホームページの存在を知った。
軽い恐怖が走るので、苦手だなと感じたら見ない方が良いかもしれない。
冒頭で紹介した女性の「深層心理」と言う物が、こちらのホームページで少し理解できるように感じた。
印象としては、自己の正義の追及心と、想像力が極端に強いと感じる。
つまり、そのもの正に、「現実と妄想の境界線が曖昧になっている」ということだ。
そして、正義。他人の価値観に触れた事が無いのか、それとも、他人も価値観を持っていると言う事が理解できないのか、理解したくないのか・・・異様に独善的なのである。
境界
直接言及する事は避けるが、もう一つ
「野崎コンビーフ」
こちらでも、検索してみて欲しい。
こちらは、正に「狂気」と言う言葉が似合う芸術品である。全く適当に描いているようにもみえるが、訴え方、見せ方の力が非常に強い。
計算しつくされた絵なのか、単に天才なのか・・・。
これらのサイトを今回のテーマに取り上げるのは、実は見当違いかもしれないが、つまりは、「狂気」と「正気」の違いはどこにあるのだろう。
先ほど私は、彼を天才と評価したが、人によっては、恐怖しか感じないこともあるだろう。
答えはそこなのだ。
つまり、ある人から見れば「狂気」であっても、ある人からみれば、「天才」なのである。
病気も実は、同じ事が言える。物理的に組織が壊れているのであれば、それは確かに病気なのであろうが、精神的な病は、果たして本当に「病」なのか。
時代の違いや、土地の風習や、人の価値観により、「狂気」と言われたり、「天才」と言われたり。ただ、彼らは少数派なだけではないのだろうか?
「現在の日本で、狂気と呼ばれる方が問題なのだ。」
確かにそうだ。確かに、現在の彼らはごく少数派であり、現在の社会には馴染めない。いろいろ苦しい事もあるだろう。
しかし、狂気だからと、病気だからと、「薬」を処方して落ち着かせる。黙らせる。この現在の状況には、どうしても違和感を感じずにはいられない。
少数派を蔑むのではなく、何かを学び取り、発見する事はそう難しいことではないと思うのだが、如何であろうか?
本日の回答
現在の異常者は、現在から見ると異常な時代、つまり、戦国期等には、大活躍していたかも知れません。逆説的に、現在、織田信長がここに居れば、精神異常者として、薬漬けにされていたかもしれません。
サキちゃんも変だよね。わたし、現実には存在しないのに、会話してるし。それはだな、「演出」と言う物なのだよ。冴子君。
それを差し引いても、少し変。・・・。
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ようは一般人が理解できない人間を変人とか狂人というレッテルを貼っているというところは納得がいきます。
日本は特に仲間と違う人間を排斥する島国根性が強いですからね・・
狂気の世界、これは、紙一重なとこ、あると思うのです。普通に会話してても、対面してる側は、狂気に合わそうとしてしまうから、第三者ならおかしいと気付いても、中々狂気に気付かない、とか。
ぶつぶつな人、とか、自己内で、完結する理屈の体系をつくり、自己防衛してるらしいです。パラノイアというタイプの病がありますが、割と、普通なんですよね。理屈の体系をもってますから、病気と認定される人は少ないですし。
天才は、狂気の世界をのぞいて帰ってこられるのでしょう。いったきりになってしまう人もいたり。
薬のタイプにもよるのですが、副作用とか、無視してでも投与しなきゃいけない事例、自・他傷の可能性が在り、緊急措置入院が必要な例とか。看護する側も、合わせてるうちに、狂気にあわせることになるので、どうしても眠らせざるおえない事例、あります。医療従事者でも染まって、自身が知らず病んでしまうこともありますので。なまじ、福祉やってたので、薬による沈静を否定し辛い赤すぺさんでした。軽度の精神疾患は、上手に付き合っていけるのに、社会的認知度が少なくて、ちょっと悲しいのです。
満員電車懐かしいです。東京でサラリーマンしていたときは、本当に大変でした。車内で宙に浮くなど日常茶飯事でした。あと、痴漢の誤解を受けないように、カバンを両手で抱え、誰にも手が触れないように気をつけたものです。
今回のお題「狂気」は、興味深いお話ですね。
狂気も天才も紙一重なのでしょうが、それぞれが独創的な世界に住む人たちです。
世の中に受け入れられれば、天才にもなるだろうし、仮に狂気な人であっても、いい意味で受け止められれば、天才以上の賞賛を得る場合もあります。
我々と共通しているのは、皆人間であることです。
そう思えば、一般的な人、天才、狂気な人、個性的な人(障害者)など、様々です。
よく自閉症の子供達が突然悲鳴を上げたり、ぶつぶつ言ったりしますが、薬ではなく、訓練でその行動を抑えてあげることが出来ます。行動だけを見れば、狂気扱いされがちですが、この子達には得意分野があって、それは一般の人が太刀打ちできないほどしっかりしたものです。
狂気、天才、それぞれが特異な個性であることは間違いないので、好きか嫌いかは別として、異なる考え方や表現方法として受け入れたいですね。特に単一民族だった日本人には異物は排除する傾向にあるので、「受け入れて考えてみる」ことは必要なことだと思います。
仰るように、本当の病気は病気として処方する必要がありますが、狂気も天才も、もしくは個性(障害者)それぞれを専門的に良い方向に導いてあげるだけの経験や環境と指導者が少ないように思えます。
現代社会における心の病に悩む人たちの葛藤を見ているとつくづくそう思います。
なぜなら、それこそ異常なほど薬を飲んでいるからです。そんな量の薬を与える医者の方がよっぽど「狂気」ではないかと思ってしまいます。
長々とすみません!サキさんの意図するところとでは、ことなるかもしれませんが、「狂気」という字をみて、薬だけで解決しようとする無知な医者が浮かびました。
日本では、白人、黒人というだけで、妙な孤立感を感じてしまうという話もよく聞きます。「自分が日本人ではない」と言う事を再認識すると言いますよね。当たり前なんだけど、それを強く感じてしまうらしいです。差別というより、「客人」として扱われるということかも知れません。
天才と変人が、紙一重。私は同一視しても良いと思っています。社会からはみ出すか否か。その違いしかない様におもうんですよね。生物として見れば、髪の毛一本分の差があるのかどうか?というレベルになってしまいます。
ただ、「社会」は人間にとっては重要な世界のひとつであり、「並」であることも、幸せには必要になってくる要素なのでしょうね。現に苦しんでいる人、それが、『人間限定の狭い世界で、精神疾患と診断された人々』だとしても、薬は必要だとは、思います。
皆、人間である。
こういう共通点がある以上、「並の幸せ」は、だれであれど、欲しいはず。現に、悩む天才や狂人の姿は、様々な伝記の中でも有名です。
しかしです。VcCSさんが仰る様に「訓練」、言い換えれば、「成長」していく過程こそが大事だと思います。
「気づき、考え、改善していく過程」
私も、まず、スタートラインにたつ為の薬は必要と思います。
赤スペさんの仰るように、「誤解されている」そう思います。
可能ならば、「上」から助けてあげようと思うのではなく、一緒に「勉強」していこう。こういう社会になってくれると、すべてがうまく回り始める予感がします。
ブログの殿堂、おかしいときがあるみたいですね。。。
でも、どうやら無事にポイントついたようです。応援感謝です!