【社会】PETAとは?人間とは?

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本日の議題
動物愛護団体は、何なんですか?
たこ焼きに抗議
以下引用
国際動物愛護団体PETA、「たこ焼きの販売やめて」と日本プロ野球に要請
日本のプロ野球のコミッショナーに対し、地球温暖化対策としてホットドッグやタコ焼きの販売をやめてベジタリアンフードの売店を出すよう求める書簡を送った。
ベジタリアンフードだけを販売するようになれば、日本のプロ野球は地球温暖化との闘いで先頭に立てる」「ベジタリアンは、肉を食べる人よりも、心臓病、糖尿病といった深刻な疾患、肥満になりにくい。したがって、野球場に応援に来たファンは、もっと幸せに、もっと健康になれる」
北米の野球スタジアムの多くで、大豆バーガーなどベジタリアンフードが販売されるようになっている
全世界の輸送よりも畜産業のほうが地球温暖化に寄与しているという。(c)AFP
ニュース記事だけ読めば、なんと理不尽な事を述べているのだ・・・と、誰もが思うだろう。
- 何故、野球団体に特定して抗議するのか?
- 何故、いきなり野球ファンを引き合いに出して、遠まわしに自分たちの考え方を押し付けようとするのか?
- 何故、環境問題が唐突に引き合いに出されるのか?
つまり、タコから、話があまりにも飛躍しすぎているのである。タコと地球温暖化が、1クッションでは繋がらないのだ。
そもそも、PETAって?
米国に本部を持ち、その他数カ国に支部を持つ、世界最大の動物愛護団体である。
抗議内容は
- 動物は、食べる物ではない
- 動物は、実験材料ではない
- 動物は、見世物ではない
- 動物は、毛皮の原料ではない
- 動物は、ペットにするものではない
- 動物は、消費するものではない
こんなところであろうか?
主張は、実はおかしくはない。気違いではない。こういう倫理観は理解できるし、動物好きであれば、子供の頃、一度は考えた事がある項目ばかりであろう。
大人になるに従い、やがて「地球の恵み」と、感謝出来るようになっていくのだが、それは後の章で述べよう。
ケンタッキーを目の仇にしたり、裸や、度を越した過激な行動で知られる同団体だが、痛ましい動物実験の実態等を暴いたり、動物が軍事用に使われる事を抗議するさまは、頼もしくもある。
鹿に、爆弾を積んで、歩いて行かせ、自爆させる等と言う軍事行動等もあったようだが、それにも、激烈に批判している。
(参考WIKIPEDIA)



問題は何か?
では、何が問題なのだろう。何が危険なのだろう。
タコと環境問題を結びつける事だろうか? 裸で過激なパフォーマンスを繰り広げることだろうか? ユダヤ人大虐殺と、牛の大虐殺の写真を並べて展示することだろうか? 資金が、さらに過激な(テロ組織と言われている)動物解放戦線に流れていることだろうか?
しかし、そうなのだ。信じるべき基盤が、強固なのである。あまりに非人道的に殺される動物たち。霜降りの高級牛肉も、そもそもは、大きな刃物で暴れる牛を屠殺し、体をブツ切りにして、テーブルに運んでいる訳である。

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私たちは、ひどい仕打ちを受ける、動物たちを守るために、活動するのだ。
肉を取る為だけに、一生小さな檻に入れられて、最後には屠殺される動物たちを、開放するのだ。
罪の無い、踏み潰される、「人間だけにとっての」害虫と呼ばれる生命を守るのだ。
これらは、彼らを壮大なヒロイズムに浸らせるための力が、相当強力だろう。
「命」を救う為の行動なのだからと、妄信し、過激な行動に発展するのも、うなずける。
一般人と愛護団体員の差は?
しかし、あまりにも強烈なエゴイズムを感じてしまうのも事実である。しかし、筆者は知ってのとおり、反戦主義者である。これもまた、強烈なエゴイズムである。
人が殺される事と、動物が殺される事に、どれほどの違いがあるというのか?
理不尽に命が奪われるという事では、まったく一緒だ。だが、自己弁護する言葉はいくらでもある。
- 弱肉強食は自然界の法則である。
- 植物も命なのに、動物は食べてはダメで、植物はOKとは、どういう理屈だ。
ならばと反論されるのは、こんなところだろうか?
- 人間社会はすでに、自然界の法則とは乖離した存在ではないのか?
- 動物も命なのに、人間は殺してはだめで、動物は自由に殺して良いとは、どういう了見だ。
倫理か本能か?
結局は、倫理観のバランスの問題なのだろう。倫理観を適応する範囲が広いのか、狭いのか。
つまり、人間の倫理観を、人間だけに適用するのか、動物まで適用するのか、植物もすべて適用するのか。
「感謝して、頂きましょう。」
なんと、美しくもあざとい言葉なのだろう。しかし、筆者も今夜は大好きな鶏肉を「感謝」していただくとしよう。
本日の回答
少々過激で、事件や問題を起こしますが、倫理観だけ見れば、あながち間違った人々と決め付けることは出来ないでしょう。
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難しい問題ですよね。愛護団体の気持ちも分からないでもないですが、あまりにも過激な行動には少々疑問が残ります。
クライアントの中には、グループ内で畜産に関るところがあります。葬祭業も生々しい仕事と思っていましたが、畜産の仕事もかなり大変な仕事です。
例えば、生きている豚をさばく時、鉄のハンマーで眉間めがけて叩き、即死させるそうです。その時、ちょっとでもずれると、豚がもがき苦しむため、大変気の使う仕事だと言っていました。その他にも耳を塞ぎたくなるような話が沢山ありました。
また、ひよこの場合、メスは生かされますが、オスはドラム缶に投げ込まれ、一杯になったら火でもやしてしまうそうです。
この場面だけを聞けば、耳を塞ぎたくなるほどですが、こうゆう仕事に携わっている人がいるからこそ、お肉の切り身を何も考えず購入することが出来ます。
そんな話を聞いてから、お米もそうですが、安易に食べ物、特にお肉は残せなくなりました。
動物実験もそう!あまりにも残酷な行為には、批判的になりますが、でも、その実験のお陰で人が助かっている、または社会に貢献していることを考えると、何も言えなくなります。
倫理観の範囲は広い方が良いと思います。ただ、世の中にある物全てに陰と陽があり、陰の実情を知ることで、過剰な供給を軽減し、無駄がなくなればなあと考えます。
愛護団体も単に過激な行動やベジタリアンを強要するのではなく、食用とされる動物が如何に無駄に消費されないかを提起してくれた方が指示を得るのではないかと思います。
もしかしたら、そういった経験を踏まえて、現在の行動があるのかもしれませんが、衝突ばかりあったのでは本質からずれるような気がします。
長くなりましたが、自然の恵みには常に感謝する気持ちを心がけたいと思います!
では、応援して帰ります。
ですが、農作物も、同様に、勝手に植え勝手にばっさり。命とは?という根源の問いになってしまいますが、作物も命である、ことも忘れてはいけないと思います。無農薬野菜には、虫がかじってしまうと、作物の自己防衛が働き、農薬状物質(抵抗のために毒を生成する)が生まれるそうです。体内に毒を作る場合、農薬の何倍も恐ろしいとか。赤松なんかも、根っこに、他の植物が栄養を吸い取らないように、毒を出します。毒の中で生きられるのはマツタケぐらい。マツタケの食べすぎで中毒になるのは、その赤松の毒を体内にためているからだそうです。
この日本では、犬や猫の、“処分”が問題かと。毒ガスで“処分”、檻の中で暴れて苦しむのです。
頂きます、コレを宗教の理由とか『給食費払ってるから、頂いてやる』から頂きます、言わせない、親が増えたそうな。アレは命を頂いている、という感謝の言葉、宗教ではなく文化なのですが、命に感謝できない人が増えるのは悲しいです。
そして、利権。環境保護団体って、賛同する人々の寄付金によって、お給料もらってます。自己の主張をアピールして、スポンサーにお金をもらう。私自身、福祉に関わってきましたが、理想を餌に金儲けする一部の人間は、醜い。
命に関する問題には、みな様々な思いがあるのでしょうね。一方向からだけ見るのは、本当に危険だと思います。
そうですよね、その仕事を請け負う人がいるからこそ、我々がそんな思いをせずに食べられる。
感謝です。
動物実験もそうですよね。檻に閉じ込められて、様々な注射をされる事を嫌悪する一方で、身近な人の病気が治った事に涙する。殺された動物がいたからこそ、助かった命かもしれないのに…
苦しませずに殺す。殺す事に変わりはない。そのとおりです。彼らが、一生の中で、「楽しい」と思えることは、あったのかな…? 少しでも、人の心が救われるとしたら、彼ら家畜たちが、幸せな一生を送れたという証明があることでしょうか?
いただきます。言わないですか。聞いた事があります。これは、現在の日本人の問題行動にすべて通じていきそうですね。若い子は、いえ…そうとも限らないか… 海の中を、刺身の赤みがそのまま泳いでいると思っている人もいると、よく笑い話で聞きます。
今はまだ、ペットを捨てる事に罪悪感がある人が多いと思いますが、いずれ、おもちゃを捨てるのと同感覚になっていくのかもしれません。
利権構造については、そうですね…いつか考察を入れると思います。…多分。ひょっとしたら…。忘れなければ…。
価値観が多様化する一方で、人は皆思考停止していっています。しかし、何が正しくて、何が間違っているとも、私には正直判断がつきません。
こういうときは、やはり、母性的、女性的な意見が聞きたくなりますね。
一部の過激な動物愛護団体に関して、彼らのどこが問題なのかと問われたら私なら一言こう答えます。
「彼らは動物様の命が人間の命よりも重いと信じているところが問題なのだ」と。
実際のところは彼らがどう思っているのかはわかりませんが、この世界は程度の差こそあれ他者から命を奪わなければ成立しない社会です。
肉食獣を保護すれば、肉食獣に食べられる草食獣が可哀想、という事にもなります。
そういった基本を無視して、「とにかく動物の命を救いさえすれば良いのだ」と考えているように見えます。
昔、人の命は、地球より重い。なんて話を聞いた事があります。
同時に、地球より人の命が重いなど、ナンセンスだ。なんて意見も聞きました。
人の命を救う為なら、地球を破壊しても良いのか?
流石に私はその前者の意見は採れませんが…エゴに矛盾、生命の法則、複雑に絡み合っていそうですね。
いずれ、もう少し精度を上げた記事を発表できたらと思います。
(忘れないように、メモメモ、『利権』と『命の重さ』…ワードパッドにもメモしときます)