【芸術】もしも、目が無かったら。
本日の議題
目が見えない世界は真っ暗。
これ、本当?
これ、本当?
人が汚した地球。都会は埃が舞い、スモッグは太陽光を不快にねじ曲げる。海の上にランダムに転々と見える白い粒は、人間たちの廃棄物である。
写真を取れば、美しいはずの海の風景は、そんな廃棄物が無数に舞う、環境問題提議写真と化す。
浜に下りると、そのゴミの量に驚かせられる。
しかし、自分が目が見えなかったらどうだろう。空間も色も、何もかもない世界。ゴミは見えてもいいから、視覚を取り戻したくてたまらなくなるのではないだろうか?
退化した視覚と視覚を知らない生物と
そもそも、生物に目があるのは何故だろう。
実は、視覚に頼らず生きていける生物は、いくらかいる。単細胞生物は、目を形作ることは、「単」細胞なので、出来ないから除くとして、一般的に知られる生物としては、植物があげられる。
フクロウや、マッコウクジラ等は、超音波で空間を感じることで有名だ。モグラは、目が退化しているが、餌も巣もつくり、地下にモグラの世界を形作る。モグラの餌であるミミズは、もともと目はないが、光を感知出来るという。
鍾乳洞の地下河川に住む魚は真っ白で、目が無くなっていることで有名だ。だが、彼らは、何らかの機能を使って、餌を取り、壁にぶつからずに生きている。
(画像)写真素材フリーダム
目が無くても、空間を把握することは出来るのである。
目が無い世界は「真っ暗闇」だ。とよく言われるが、初めから目がなく、違う方法で空間を感知できていれば、その比喩は当てはまらないだろう。
進化論
さて、では、なぜ大多数の生物には、目が備わっているのだろうか?
その問いの答えはは簡単である。
目を発明した生物が、目を持たない生物を淘汰したからである。もしも、何らかの形で空間が把握出来ていたとしても、「目」という、絶対的な空間把握能力には勝てなかったのだろう。
ダーウィンの進化論の真骨頂である。
生物たちの苛烈な進化の競争により、われわれは、様々な能力を得て、現在の豊かな感情を得るに至ったのである。

さあ、今回のテーマの「もしも、目がなかったら?」である。
目がなかったら?
もし、生命の進化の過程で「目」という物が発達しなければ、現在の人間には目がない世界が広がっているかもしれない。もちろん、視覚がなければ「人間」という物に進化したとは限らないだろうが、そういう仮定は、また別の機会に。
しかし、なにか、目とは違う力で空間は把握していたに違いない。ねずみくらいの大きさならば問題なかろうが、猫辺りの大きさになれば、その空間把握能力は必須だ。
つまり、何かにぶつかったときのダメージが、体重と比例して大きくなる訳だ。歩くたびに何かにぶつかったり、転んだりしていては堪らない。
現在、人はその外観の光と影、反射する太陽光の波長による色彩で「美」を感じ取っている。
もしも、ふくろうの能力のように音波でしか空間が把握出来なかったとしたら、どんな「美」を感じ取っていたのだろうか?
もしも、モグラのように、匂いでしかものを感知できなかったとしたら、どんな「芸術」が発展していたのだろう。
触覚しか外界を感知する能力がなかったとしたら、どんなことが「美」にあたるのだろう。
視覚がない世界には、もっと別の美しい世界が広がっているのかも知れない。
視覚美の世界
さあ、なぜか予期せぬうちに、新サイトに関連してしまいました。
マジで!絶対! 今回のエントリーは、このためじゃないのです!
が、こちらからどうぞ。
新サイト「LOVE Photoshop」
うそくさいなあ… 本日の回答
そうとは限りません。
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